左手でお尻拭けますか?

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#02 和歌山生まれ

 捕鯨で有名な町がある。和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡太地(たいじ)町。
 電話番号も4桁で足りるほど人口は少なく、3000人台である。
 太平洋に面しており、高台から眺めると水平線まで海が続いている。島一つ見えず、船が優雅に進んでいるのとカモメが飛んでいるのだけが目に入る。
 黒潮に面しているためか非常に潮の香が強く、海でその匂いを嗅ぐたびに太地を思い出す。捕鯨が盛んだったころは大そう栄えたようだが、今はその面影を多くは見られない。
 母親がその町の出身であり、里帰り出産時の帰省で、私が隣町で生まれた。 当時(今もだが)、町に産婦人科は無かったようで、隣町のマグロで有名な那智勝浦町で、昭和48年3月23日金曜日の早朝に生まれたようだ。
 産婦人科ではなく産婆さんに取り上げられた、と大人になってから聞いた。勝浦港の近くと教えられ、数年前に行ってみたのだが、当然だが何もなかった。
 まぁ実在して見たところで「へぇ、こんなところか」という程度の感情しか湧かないであろう。
記憶が無いので想いも湧いてこない。
 私自身、父方母方の祖父母にとっては最初の孫ということもあり、可愛がられたんだろうなと振り返ってみるとそう感じる。

 当然だが生まれたときの記憶は全くない。
 自分の中で一番古い記憶って何だろう? と考えたとき、思い出すのは保育園に初登園したときである。
3歳ぐらいだと思う。私は3月生まれで、回りの子より一回り小さかったので、2歳だったかもしれない。
天気が良いある日、友達と友達の母親2、3人のグループで、一緒になって保育園に連れていかれた。
自分にとっては突然で少し驚いたのだが、友達もいるしと気楽に思っていた。ただ、保育園に通ずる道に墓地があったので少し怖かった。

 ところが、それからが事件だった。
 保育園に着くと、母親に「じゃぁ、ここで居ってね」と言われ、いきなり置き去り(子供心に)にされたのだ。母親はそのまま帰ってしまった。
 すると一緒にいた友達が「おがぁ~ちゃ~ん」と次々に泣き出した。
 私は驚いた。「何事!? 何で泣くの?」と驚き、困った。
 そのとき私には泣くつもりはなかった。
 けれど、周りは泣いている。「自分も泣いた方がええの?」と思い、大声出して「おかぁ~ちゃ~ん」と泣こうとした。
 でも感情がついてこない。大声を出しただけで終わってしまった。

 母親と別れたあと、園内を案内された。見るもの会う人がみな新鮮でドキドキした。
 建物の場所、別れたときの風景など、何故か今だに鮮明に覚えている。記憶力って不思議である。
 たぶん「泣いてみた」というそのことが、自分にとってはそれまで生きてきた中での一大事件だったのだろう。
 この場所は大人になってからは一度も訪れていない。今、GoogleMapで見てみると建物自体は残っているようだが、閉園しているようである。
 保育園の思い出というのは他にもいくつかあるが、このぐらいにしておこう。